大正4年2月 | 故山本集一の個人経営で広島県庄原市東城町(旧比婆郡東城町)に創立、鋳物の製造を主とし若干の機械設備を整え発動機、製材機の修理から製造に進む。 |
大正末期昭和初期 | 東城に近く、山陽中央水力電気株式会社(現中国電力株式会社)帝釈川発電所ダム工事、つづ いて成羽川発電所建設工事が施工され、多数の外国製さく岩機が使用された。その修理や部分品の補給を引き受けたことから、当時殆んど舶来品に依存していたさく岩機の国産製造に着手。 種々改良、各鉱山での試用を経て全国的に採用され量産体制を整えるべく工場拡張、さく岩機の命ともなる熱処理に、ドイツより技師を招聘指導を受け品質性能の向上に努力する。一方ではエアーホイストの製造も始める。 |
昭和14年2月 | 組織を変更して、資本金130万円で株式会社設立。本社を東京丸の内に置き、九州営業所を開設。 |
第二次大戦中 | さく岩機も軍需優先となり軍需省の管理工場となる。海軍航空機部分品の製作も引き受け海軍の管理工場となる。 |
昭和20年8月以降 | 終戦と共に航空機部門を閉鎖、さく岩機・エアーホイスト等の製造を開始する。混乱と苦難の時期、操業中止もなく復興重点産業である炭鉱用さく岩機から、国土開発のための建設工事用さく岩機を開発製造。 |
昭和30年6月 | 資本金520万円に増資。高知営業所を開設。 |
昭和32年6月 | 仙台営業所を開設。トンネル、ダム、道路、破砕、石材、新幹線、空港等々需要の変遷にあった新しいさく岩機開発は工事に多大な貢献をなすこととなる。 |
昭和38年6月 | 資本金1,560万円に増資。 |
昭和42年6月 | 資本金3,120万円に増資。 |
昭和46年6月 | 資本金3,588万円に増資。 |
昭和47年2月 | 大阪営業所を開設。 |
昭和53年7月 | さく岩機の大型化、無公害化、防振防音、油圧化等々急速に改良が進み、特に油圧クローラードリル用として開発したYH型油圧ドリフターは飛躍的な技術の革新につながる。また、油圧クローラードリルによる大口径のさく孔が可能となり、大型油圧式割岩機等製造の多様化に発展する。 |
昭和60年10月以降 | 以降急テンポに変転する時代に柔軟に対応する開発力を得て、さらに性能と品質の向上に努め、法面ロックアンカーさく孔装置、製鉄・アルミ・精錬工場等産業機械、上下水道小断面トンネル掘さく装置等々多方面にわたる機械の開発製造に着手し、さく岩機単品から総合システムメーカーとして脱皮を 図る。 |
平成3年3月 | 資本金8,532万円に増資。 |
平成3年12月 | 東城工業団地へ重機工場設立。 |
平成4年7月以降 | 世界初の油圧式高炉出銑口開孔装置を、新日本製鐵株式会社殿と共同開発に成功する。その後製鐵関連諸設備、ダイオキシン対応ゴミ熔融炉出湯装置等新分野の拡充を図る。 |
平成8年8月 | 社名変更・本社移転 新社名 ヤマモトロックマシン株式会社 旧社名 株式会社山本鐵工所 新住所 東京都千代田区丸の内2丁目7番3号 東京ビル263区 |
平成13年10月 | 東京ビル改築により本社移転 新住所 東京都千代田区丸の内3丁目2番3号 富士ビル713区 |
平成20年6月 | ㈱高速道路総合技術研究所とキャビテーション洗浄車を共同開発する。 |
平成20年10月 | ISO9001認証を取得。 |
平成27年2月 | 創業100周年を迎えました。 |
製品紹介